沖縄観光
せーふぁうたき(斎場御嶽) に初めて行きました。
大きな石と石が、ごっつんこしている。つきあたりは、拝所になっています。
パワースポットと呼ばれる場所だけありますね。
琉球王国最高の聖地とよばれるところ。
戦争で爆弾がおちたところ。
溝になり、そこに水がたまり池になっていました・・
まわりの木々や景色がすばらしかったけれど、こうやって戦争の跡が残っている
のには、考えさせられました。
考えさせられたところで、
帰りには、豊見城にある旧海軍司令部壕に行きました。
ここは2回目ですが、やはり壕にはいるとき、地下におりていく時の重い
空気はたまりません。。
105段、30メートルの階段。
闇に向って歩いて行く・・
今は、冷房もきいて整備されていますが、当時がどうだったんだろう?
と想像もできないレベルの場所。
自然と言葉も出なくなります。
戦後しばらく放置されていた壕のようですが、数回に渡る遺骨収集のあと
昭和45年に復元されたようです。
壕の中の部屋にも、たくさん傷跡が残っていました。
自決した指令官室の壁には文字が残されていました。
この場所で、最後の死の決断をしたとき、何を思ったのだろう。
壮烈な最期の直前、司令官が打った電報の内容が残されていました。
沖縄県民の献身的作戦協力について訴えたものでした。
最後の原文の最後は、
県民ニ対し後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
で終わっていました。
沖縄戦で亡くなった人数 200,656名
20万人ですよ!20万。
20万人の多さがイメージもできません。
20万人は、
他都道府県 65,908名
沖縄出身 122,228名
米軍 12,520名
戦争を経験している人たちが生きている今にできることは・・
うちのおじぃさんも、経験者だった。なんで何も教えてもらわなかったんだろうと後悔しました。
何年たっても、戦場で一緒に戦った人たちから年賀状がおじいさんにきていました。
誰にも語れないことが、きっとたくさんあったのだろうと思うと・・
最近、私は高校の同窓会で大いに盛り上がり、青春時代を思い出し
また、現在の幸せにも気づくことができた。
戦争は、そんな昔のことじゃないことが、また信じられなく。
こんな毎日悩んでいる内容なんで、ちっぽけな幸せなことだと思わないと!です。
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